七福人ブログ

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慶應志木高校の入試で出題された"伝説の小論文の問題"がもう1個ありました 私の尻について述べよ……?

お尻をぶつけた人のイラスト(男性)

先日「割り箸を描写しなさい」という小論文の問題を紹介しましたが、どうやら慶應志木高校の伝説は割り箸だけにとどまらないらしく、いろいろ検索してみると断片的に情報を仕入れることができました。

 

文章とともに男性の尻の画像が添付されていて「『私の尻』について述べよ。」という問題だったようです。

男子校である慶應志木高校の受験生は中学3年の男子生徒。『女性の尻』についてならいざ知らず、自分の尻について「述べよ」と言われても、意見などないはずだし、とうに成人している私だって述べるに値するような尻を持ち合わせていません。

 

でも、また考えました。

 

 

 

問:

『私の尻』について述べよ。

答:

「くまの子見ていたかくれんぼ おしりを出した子いっとうしょう」という歌詞の考察に関しては先行研究が盛んであると聞くが、考察にあたっては、かくれんぼに一等賞という概念が存在するのかという命題について仮説を立てることを避けて通れない。私がかくれんぼでお尻を出しても一等賞になれるのだろうか。(続く)

 

平成1桁年代の頃の記憶を掘り起こした。小学校に入学していたかどうかも判然としない頃の追憶。オフィス北野の芸人が大通りを練り歩くというパレードに出くわした際、パレード開始前に井出らっきょが突然ビルの最上階の窓から尻だけを露出して笑いを取っていた。

令和の社会通念で考えればコンプライアンス違反も甚だしいが、良くも悪くもその日一番耳目を集めていたし、観客もみな呆れながら笑っていて、顔を真っ赤にして目くじらを立てている人はいなかったので、その日の芸人としてはお尻を出した井出らっきょが一等賞だったのかもしれない。

「くまの子見ていたかくれんぼ おしりを出した子いっとうしょう」とは、鬼に見つかったときの格好やリアクションが最も面白かった子が一等賞という意味だった、という説を私はここに打ち立てたい。

 

では、私の尻は面白いのか。

例えば、友人の家に数人で集まって談笑しているとき、私がおもむろにシャツをまくって腹部を見せつけるとする。すると友人は「腹がどうかしたのか?」と、にべもない反応を示すだろう。では、腹ではなくパンツを下ろして局部を露わにしたとしよう。その場の雰囲気にもよるが、やはり下品さやある種の危機感をも感じさせてしまうので「やめろよ」と諫められると思う。

ならば、パンツは下ろすが尻だけを出したらどうか。ふふ、と失笑が貰えると思う。つまり、尻というものは、局部ほど強烈ではない丁度良い塩梅の恥じらいや稚拙さ、下品さ、意外性、その他あらゆる滑稽さの概念を内包した部位なのである。私の尻もきっと面白いはずだ。

 

とはいえ、今私が笑いを取るために(仮に私が笑いを以て世界を平和にしたいと心から願っていたとしても)ビルの最上階の窓から尻を出せるかと問われたら、出せない。

尻に対する大衆の感覚が平成1桁年代から様変わりしているからだ。通報されるかもしれないという危惧に加え、写真を撮られてネットに晒されたらどうしようという憂慮もある。

私が尻を出したいときに出せなくなったのは、時代のせいだ。あの日一等賞を攫った井出らっきょでさえも容易には尻を出せない時代だと思う。彼もきっと尻を出し渋っているに違いない。

 

お尻を出した子が一等賞に輝く時代は、バブル崩壊とネット・携帯電話の普及により1990年頃から2000年前後にかけてグラデーション的に終焉を迎えたのである。もしタイムマシンがあったら、くまの子が見ていた頃にタイムスリップして、お尻を出した子とかくれんぼをしたい。せめて平成1桁年代に戻りたい。そうすれば、私もお尻を出せば一等賞が獲れるだろうか。

 

 

 

妄想は以上です。

何の特徴もない尻を引っ提げてぽつねんと暮らす私には、尻のプロである井出らっきょ氏の力を借りねば文章が書けませんでした。

 

どうやったら慶應志木に受かるんだ。